常に『知らないことを知ろうとする姿勢』を貫き、目的の達成に突き進む新しい時代の指導者像

コーチングステーションメルマガ

時代の寵児として、箱根路を力強くそしてド派手に疾走した日々から20年。新興勢力の大学駅伝部監督として箱根路に戻ってきた駿河台大学駅伝部 徳本一善監督。

学生時代を共にした筆者(インタビュアー)が箱根路への道のりと、新しい時代の指導者としての矜持や考え方を聞いた。そこにあったのは、目的の達成に向けて、常に知らないことを知ろうとする姿勢を貫き、変革を起こし続ける指導者の姿でした。

「僕と心中する覚悟がある」という言葉で監督就任を決断

――どのような経緯で駿河台大学駅伝部の監督になったのでしょうか。

一番最初オファーがあったときは断りました。そもそも、どこの大学なのかわかっていなかったし、強豪校の再建ならビジョンが見える。しかしなにもないような状態でしたし、大学側もどれぐらい大変なのかもわかっていませんでした。

だから、「予算が潤沢にあるならばできるかもしれません」と言って断りました。でも、大学生時代の短距離部門のキャプテンが長距離の監督をやっていて、2回目のオファーがきた。その時にこれくらい予算があったらできると言ったら、準備できるという話になった。しかし当時の駅伝部は同好会レベルで、関東学連選抜に一人出せれば金星だよねと話をするぐらい。

それも断りました。3回目には予算が本当に用意できるという話をしてきた。後に実際の箱根に行くための一般的な予算を知ったのですが、それくらいの予算では箱根に行こうとするなんておこがましいぐらいの金額でした(笑)それぐらい私も本気ではなかったのです。

ただ最後に大学の理事長に対して、「僕と心中する覚悟はあるんですか」と聞いたら「ある」と答えていただいた。これは面白い理事長だなと思って「5年で箱根に行く」という目標を決めてスタートした。経験してきた全てをかけて取り組みますという決意だった。

――当時はまだ現役選手だったはずですが、指導者になろうという想いは当時からあったのでしょうか。

選択肢の1つで指導者というのも確かにあったし、指導者になるなら大学と考えていたので、大学院に通って修士をとりました。

具体的には運動生理学やトレーニング理論で大学院にいった。この選択肢は、現役時代にもっとそういった領域に詳しくなっていれば、レベルアップできたかもしれないという自分の後悔からの選択です。

実は、指導者というより、そもそも経営者になりたかった。金持ちになりたかったんです(笑)そんな中でのオファーで、色んな人に相談したが、ほとんど無理だと言われたし、自分でも正直言って無理だと思っていました。自分でも無理と思っていたところに行ったのは、最後の一押しは理事長の心中という一言があったからです。

「面白いこと」につられていく自分自身の性格にその言葉が合致したのだと思います。先のビジョンなど考えずに飛び込んだというのが正直なところです。

――学生時代からの私の印象でも、「だれも挑戦したことがないこと」に挑戦することが徳本一善らしさのような気がしますが、昔からなのでしょうか。 

正直言って、自分が育ってきた環境も影響していると思います。中学時代は弱小校で3年間かけて強くなり、全国を見据える学校にまで成長することができたんです。

また高校は広島県では最強と言われ全国的に強豪校である世羅高校に勝ちたいということで沼田高校に進学したんです。沼田高校は歴史も無いようなところでしたが、全国高校駅伝は出れなかったけど結果的には強くなり、個人で全国大会を経験することができたんです。

規定路線から抗う道を進むという習性は、大学を選ぶときも同様の考えでした。法政大学も当時は過渡期であり、そこまで強くは無かった。

本心としては、個人種目で結果を残せていたし、そもそも箱根にそんなに興味なかった。郷里の先輩として、為末さんがいて、なんとなく雰囲気的に自由にできるから法政を選んだのです。「自分で好きなようにやれる」ということが自分の価値観で大切にしていることだったので。

自分が歩んできた道との大きなGAPがある中での舵取り

――自分が好きなようにやれるということは裏返すと、自分を管理し、自分をコントロールしながら結果を残すことができる人だと言えます。そんなタイプとして競技に取り組んできた徳本監督が、指導者として教えるときに大きなGAPを感じたのではないかと思いますが、チーム作りをどう考えていましたか。

私自身は陸上競技は個であり、駅伝もただ襷をつなぐだけで、個人として突き抜けていればなんとかなる、と考えていました。だから、今思えば仮に自分がチーム競技に参加したとしたら、淘汰されていたと思うのです。なぜなら「チームのために」ということができないから。

でも、やはりスペシャルな個が仮にいたとしても、「それだけ」では勝てない。というこは理解していました。例えば、チームスポーツであるラグビーは一人目立っても勝つことは無理です。だとするとチームとして強くするためには、1人1人が集団の中で生きていくためのスキルや力をあげていくことが大切なのではないかと考えています。

個人で考えると、トップ層に行く人たちは本当に少数しかいない。全員がそんな存在ならいいのだけれど、うちのチームは底辺みたいなもの。底辺のチームが勝つにはスイミーになることでもあり、みんなで「集団」になって強くなるという思考でいくしかないという考え方にしました。

――「集団」に対するマネジメント方法についてはどう考えていますか。

自分の役割は、あくまでも舵取りだと思っています。全部自分でできるはずはないからです。トップであることは責任をとるということ。それを選手に理解させること。責任があるからこそ、目的の達成に対して選手へ指示する権利があるということを伝えます。

つまり、私の役割は、目的を達成するための役割分担や指示命令系統などのシステムづくりなのだと思います。会社と一緒ではないでしょうか。

自分だけではできないことや、足りないことは外注したりしてなどを行い、外注先やコラボ先を呼んでこれるようなコネクションをトップが思い描いて、行動するということがトップの役割だと考えています。

更に、そのビジョンをそれぞれに共有して、チームに落とし込んでいくということです。私の場合、チームのリーダー陣などの学生含めたミーティングを運営することで、そのビジョンの共有を行っているのです。

――つまり「指導」というよりも「組織設計・組織運営」をやったということですか。

まさにそうです。青学の原さんがまさにそれをやったのだと思っています。青学は当たり前の理解として、「箱根駅伝で優勝する」という目的が浸透していて、そのために個々が動く組織なのです。

目標が強ければ強いほど行動が伴うと考えていて、駿河台も去年「箱根に行く」という目的に向かって行動が伴ってきたから達成できたのだと思います。

目的の達成へのターニングポイントと選手とのつながり方

――10年で「箱根駅伝出場」という大きな目的に到達した道筋の中で重要なポイントはいつだったと考えていますか。

10年前から「箱根駅伝出場」という目的は変わっていませんが、その目的に対する意識が選手の中でいつ変わったのかというと、3年前だと思います。

箱根の予選会で12番になってからですね。15番以内になったら箱根に行けるようになるという話をしている中で12番になったのですから、その瞬間から「本気」になったと言えると思います。

一方で、仮にその年に届かなかったとしても、それが礎になるということをずっと学生にも伝えてきました。

全大学が当たり前に努力をしているから、どうしても結果としての順位は決まりますし、落ちれば遠ざかっていて、あがれば近づくということです。その礎を築いていくということの大切さを常に伝えていました。

そして予選会12番になって、箱根駅伝が現実に見えてきたときに、自分も、より厳しくなってきました。スタンスとしては、箱根駅伝を「見に行くぞ」というよりは「取りに行くぞ」となったからこそ、本気が生まれたのだと思います。

――より厳しい姿勢を意識するようになった「キッカケ」を教えてください。

仮に目的達成のために必要な厳しさを求めた時にそれができない選手は、うちの部にいるべきではないのではないか。と話をしてきた。

これはネガティブな意味ではなくて、「取りに行くぞ」というスタンスが合わないのであれば、その人に合ったところに行った方がいいというポジティブなスタンスです。

そこまでは仮に悪さをしたとしても、何とか部にも残してきたが、そこからは目的に到達できる可能性が明確になってきた分、大きくスタンスを変えたのです。

だから私ははっきりと合わないなと感じた選手には「無理ですよ」「ここじゃないですよ」と言うようにしています。

――なぜ合わないなという選手にははっきり伝えるのでしょうか。

昔はなんでもかんでもペナルティつけていて方向性をただそうとしていたけれど、それでも治らない人は治らない。

だとすると、なぜ変わらないのだろうと思い始めたのです。なぜと考え、「心」が大事なのではないかと感じて心理学を勉強しはじめたら、「なんでそうなんだろう」と考えて止まっていたものや、理解出来なかった子たちのことを理解できるようになってきたのです。

そもそも人間にとって、「知らないもの」は怖いものです。相手が知らないことをしてきたときにそれがストレスになってしまい、それらが一気におこったときに力でねじ伏せるようになってしまう。

そうではなくて、知識があることで、なぜなのかと考えるようになった。更に言うと、聞かないと分からない、知らないと分からない、学ばないと分からないと気づいてそうするようになった。

最後はコミュニケーションでしか理解し合えない。それでも理解し合えない部分はある。だから戦争も起こる。

国と国でさえそんなことが起こるけれど、クラブ活動でも一緒なのではないかと思う。どうしても「分かり合えない」のであれば、多分そこは「合わない」のであって、その人にとって「合う場所」を探した方がいいという議論になるのです。

突き放しているのではなくて、至極冷静な判断をするようになったのだと考えています。

――「合わない」学生に対して「ダメだ」ということではなくて「合わないだけ」であって他に「合う場所があるはずだ」と考えるわけですね。

世の中にはそういった「合わない」選手にたいして、「ダメレッテル」を貼ってしまう人はいるけれど、「ダメ」だとは思わないようになったのです。ただ合わなかっただけだし、「ダメレッテル」を貼っている人は、生徒からもダメレッテル貼られてるだけなのだと思います。お互いがボロクソに見えているだけ。だから、やめた後にお互いボロクソ言っていることが多い。

自分の場合はそうしていないから、話し合ってやめた後も部活にきてくれる選手が多い。なぜなら納得してやめたからこそだと思います。やめるときは必ず1対1で話をしていますから。

学生スポーツ指導者としてのスタンス

――指導の相手が「大学生」であるということに対して考えていることはありますか。

大学生だからということはないですが、目的が全てです。中学生は勝利が全ての目的じゃない。成長を見守ってくださいという目的が大きい。そこに対するアプローチが優先されるべきだと思います。

一方、自分のチームには箱根駅伝に出場するということが目的というものが大前提にある。だから学生が勝利至上主義を受け入れられるかどうかだけ。そうじゃないようであれば違うチームにいけるというスタンスがオープンになっていることが重要だと考えています。

つまり、「自分達がどういうチームなのか」ということを明確にしたうえで、その目的に対して合意している前提。お互いに納得していることを前提としているわけです。

――強くなろうと思っているのにもかかわらず、頑張れない子がいるとするとどうしますか。

「頑張る」ということに納得感があるようにするということができていないのではないかと自分自身に矢印を向けます。

でもそうできない指導者が多いのではないかと思う。指導者が勉強する場所がない。だから、そう考えるべきということに気づいている人が少ないのではないか。

つまり、自分のことを理解して、頑張れないことを「怒る」ということにならないような仕組みにできるかどうかなのです。

箱根駅伝初出場からの未来とスポーツの価値

――昨年度箱根駅伝に出場して、これからはどう考えているのか?次のステップはどう考えているのか?変えるところ、変えないところはどう考えているのか。

目的そのものは変わらないし、その目的を達成する為の集団にするということに変わりはありません。

でも学生チームの場合は、毎年毎年変わる。人が変わるから同じことはできない。キャプテンが変わるとチームの雰囲気はガラッと変わるものです。

2年前、3年前のキャプテンと、今年のキャプテンも違う。性格も違う。そこのフォローは指導者としては、ちゃんとやらないといけない。その子たちに合わせたやり方を考えるということです。会社と違うのは明確にそこです。

ずっと同じ人がいるわけではないし、人は入れ替わるから常に接し方は毎年毎年模索するということです。

競技力だけで言うと、優秀な人材がいればいいだけの話ではありますが、組織の良さ悪さは「伝統」として形として作っていくために、必要なものといらないよねという部分をきちんと整理していく必要はあると考えています。

――ただ単純に強くなるだけでなく、企業とのコラボ含め様々な取り組みをしていますがその意図はどこにあるのでしょうか。

スポーツの可能性がもっとあると思っているからです。アメリカはNCAAなど、大学自体がスポーツで盛り上がっているし、それがカルチャーになっている。一方で、日本はそこまでのカルチャーはない。

箱根駅伝というツールだけが、そのカルチャーにつなげられると自分自身は考えているのです。その考えの中で、チャレンジできるブランドや場所があるならばチャレンジする。箱根駅伝はブランドになるからコラボしてくれるのです。選手にとってもそこに気づいて欲しいという思いはある。大学生だからこそ、ビジネスなど「違う路線」を見て欲しいと考えているのです。

――そういったコラボのような案件は徳本監督自身でやっているのか、それとも学生も巻き込んでいるのでしょうか。

まずは自分が提案して学生にも意見を聞いています。学生と一緒になって意見を言える土壌を作っておくことも大切ですから、ダメもとでもいいからアイディア言って来いよと話しています。つまり、コミュニケーションの幅を広げるということです。

だから、私も学生のやっているゲームを一通りやったりもするのです。コミュニケーションを広げる仕掛けを指導者側がするということですよね。彼らに自然と近づいていくということです。

――選手側の立場に近づくということなのか?降りるということなのでしょうか?

そのどちらでもなく「逆」です。姿勢としては「彼らに教えてもらう」ということです。なぜなら、自分の知らないことを知っているのだから。

彼らの目線に落ちているというつもりではなく、その目線を知りたいだけ。彼らの目線に何が見えているのかを知りたいだけなんです。何でも大人の方が知っているという概念はありません。

知らないことを知ろうとするということに年齢もくそもない。単純にそう考えて動くということです。そうしないとコミュニケーションが成立しないじゃないですか。

これからのチーム展望と指導者としての矜持

――「箱根駅伝」という目的がある以上リクルーティングが非常に重要だと思いますが、そこに対する意識はどうでしょうか。

監督としては9割方それが仕事です。しかし、全大学がそこに注力するからこそ、優秀な選手がくるというわけではない。

イメージからするとどこにでもあるなんでもない「鉄の塊」から「名刀」に近づけるということ。そんな刀鍛冶としての力のようなものが、指導者としての腕だと考えています。

多分、私が箱根駅伝に導いたことで評価された部分はそこだと思っています。ある人には「この選手たちをどうやって箱根にいかせたんだ」と言われたりもしました。

私が拘っている部分は、1000人教えて1人オリンピック選手を育てたという指導者と、100人教えて100人全員に自己ベストを出させてあげられた人はどっちが名指導者ですか。という点です。

どうしても1人のオリンピック選手を育てた方がスポットライトを浴びます。100人全員が自己ベストを出させてあげられた指導者は、スポットライトがあたりません。だから、気持ち的に難しい部分はあります。

でもこれも目的設定なんです。要は。自分が1人のオリンピアンを育てるという目的だとしたらそのようにアプローチします。でも、今は自分はそこに目的設定していないのです。

――そんな目的設定の中で学生にはどのような選手や大人になって欲しいと考えていますか。

スポーツは競争社会で実力や結果が出せなければ淘汰される世界です。その厳しさはある前提です。それを理解した上で、そこに飛び込むかどうかを学生自身が選択することが大切だと考えています。

つまり学生が目的を理解して挑戦するのかどうかということを「学生自身」が選択するということを大切にしています。

だから、今は部員が80人になって、丁寧に見てあげられない選手がいるというのが、すごく組織としてネガティブな部分に感じています。私1人でカバーできるキャパは超えてしまっている。だから嬉しいことに入部したいという高校生が20-30人来ているが、申し訳ないけれど断っている状態です。

人数が多いからいいか悪いかという話ではなくて、目的を達成するかしないか。これが僕のスポーツに対する見方。100人中100人みんなこのチームがいいということはあり得ない。だからこそ、子どもたちには選択できる力をつけるというのが重要だと思う。

子ども「だから」選択できないのではなくて、とにかく「選択できる」という環境を作り続けるということが大事なのではないかと思っています。

――そういった意味で、自分で考え、自分で選択していく力をつけていくという意味ではスポーツが有効な手段になるのではないかと思いますがいかがでしょうか。

私もそう思います。最近では「怒らない」「褒めない」というどちらもやらない方がいいのでは。という考え方もあるが、私は「ほめる」ということに価値はあると考えています。

選手と指導者との環形の中で、「ほめる」「ほめられる」ということがあり、選手が「ほめられたい」と考えた時に、「主従関係」に近いということができる。

スポーツの世界では「ほめられたい」という関係性を作りやすい。だから、「ほめられ」て、自分の人生が豊かになるのであれば、彼らが「自分らしく生きられるようになるため」の仕掛けになりうる。

だから、それを続けながら、その人なりの「選択」を繰り返して、最後は自分で「選択」できるようにしていくということではないかなと考えています。

ここまで自分の考えが深まったからこそ、逆に自分の意見を押しつけなくなったと感じています。

自分の意見を押し付けるのは、自分が生きやすいようにしたいだけ。と理解したから。だから、やっぱり一番重要なことは、「知らないことを知ろうとすること」です。

徳本一善としての将来

 

――徳本さん自身の将来やチームの将来はどう考えていますか

良い人材が集まるようなフェーズには来たものの、大学としての知名度の厳しさは以前としてあるし、正直言ってどこまでいけるのかは分からない。

だから、自分自身の人生としてもどこで何をしたいのか、ということを常に考えながら、また、「面白いのかどうか」ということを自分自身も選択していくということだと考えています。今後も、節目節目に自分も判断していくということになるのだと思います。

人は誰かに選択を委ねたくなるものですし、ルールを決めてしまうとそうなってしまいます。かつては、私もそういうやり方をしたことがありましたが、あまり上手くいかなかった。

確率論でいくと、彼らに選択を委ねる方が確率は高いのではないかと思います。そしてその確率をさらに高めるために、必ず自分自身で組織のことを、分析し、常に改善していくということを繰り返すことが大事だと思っています。つまり、これからの未来については、失敗したときの「動き方」で全て決まるのではないかと考えています。

失敗するために頑張る人などいません。失敗が起きた時に、そのままでいる人と、「なんで?」と考えて、調べる、知らないことを知ろうとする行動に意味があるのです。そのうえで、課題に対するアプローチをするという行動までするということです。

知らないことを知ろうとすることは難しい部分もあります。「相手に理解されない」「相手を理解できない」と嘆く人もいるかもしれません。

でも私は、相手に理解してもらうためには、まずは相手を理解するということを考えています。自分のことを理解してもらっていない人に何を言われても人は動かないし、言うことは聞いてくれない。だから、まずは相手のことを知ろうとする行動から始めるということです。

結局は仲良くなってからが勝負だということです。仲良くなるためにはまずはコミュニケーションでもあり、そのコミュニケーションの本質はやはり「知ろうとする」です。

学校スポーツと棒高跳でGood Sports,Good Futureを~米原博章さん~

「納得解」を得てもらいスポーツ環境をより良くする~有田祥太さん~

プロフィール

徳本一善(トクモト カズヨシ)

美鈴が丘中1年から陸上を始め、3年時には全国大会出場。法政大学入学後、インターカレッジでは1500m、5000m、10000mで活躍し、大学陸上界を代表する選手となる。
箱根駅伝では2年時に1区で区間賞、3年時が2区で区間2位を獲得。4年時には2区を走り、学生長距離界のエース、区間新を狙ったものの、わずか5.4キロ地点で右足を痛めた。指揮官である成田道彦監督は棄権させようとしたが、66回出場の伝統のたすきを繋ぐため、監督との攻防を続けた。この光景は観る者の目を釘付けにしたが、監督らに取り囲まれ、無念の途中棄権
2003年、2004年、日本選手権男子5000m連覇。一時スランプに陥っていたが、ひざを手術し、2006年世界クロスカントリー選手権福岡大会の男子シニア12キロの代表に選出。
07年初開催となる東京マラソン(CX)で初マラソンに挑戦、一時は日本人トップ争いに絡み、5位入賞を果たした。
07年4月より順天堂大学大学院に入学し、最前線で競技を続けながら、研究に励んだ。09年3月修了。長距離界では初の試み。
2011年11月、駿河台大学に選手兼コーチとして就任。2012年4月より監督に就任。
2022年1月第98回箱根駅伝に監督として初出場を果たす。

【編集後記】

もう彼と付き合って20年にもなる。お互い年を取り、様々な経験を経て今に至る。私自身はサラリーマン生活13年から公立中学校教員に転職して6年。毎日生徒の成長を願いサポートしながら、部活動やスポーツコーチングの現場にいる身として、とても刺激的な言葉ばかりでした。

目的設定と相互の合意。そして、目の前にいる相手を「知ろうとする」「分かろうとする」ことに対する執念にも似た好奇心と行動力。こんなにもエネルギーに溢れ、そしてエネルギーを与えてくれる人はいない。だから、人は彼に惹きつけられるのだろう。かくゆう私もその一人だが、今回のインタビューでその思いを更に強くした。

これからも酒を酌み交わしながら共に年を取りたいと感じた時間に感謝。

スポーツコーチ同士の学びの場『ダブル・ゴール・コーチングセッション』

NPO法人スポーツコーチング・イニシアチブではこれまで、長年スポーツコーチの学びの場を提供してきました。この中で、スポーツコーチ同士の対話が持つパワーを目の当たりにし、お互いに学び合うことの素晴らしさを経験しています。

答えの無いスポーツコーチの葛藤について、さまざまな対話を重ねながら現場に持ち帰るヒントを得られる場にしたいと考えています。

主なテーマとしては、子ども・選手の『勝利』と『人間的成長』の両立を目指したダブル・ゴール・コーチングをベースとしながら、さまざまな競技の指導者が集まり対話をしたいと考えています。

開催頻度は毎週開催しておりますので、ご興味がある方は下記ボタンから詳しい内容をチェックしてみてください。

ダブル・ゴール・コーチングに関する書籍

NPO法人スポーツコーチング・イニシアチブでは、子ども・選手の『勝利と人間的成長の両立』を目指したダブル・ゴールの実現に向けて日々活動しています。

このダブル・ゴールという考え方は、米NPO法人Positive Coaching Allianceが提唱しており、アメリカのユーススポーツのスタンダードそのものを変革したとされています。

このダブル・ゴールコーチングの書籍は、日本語で出版されている2冊の本があります。

エッセンシャル版書籍『ダブル・ゴール・コーチングの持つパワー』

序文 フィル・ジャクソン

第1章:コーチとして次の世代に引き継ぐもの

第2章:ダブル・ゴール・コーチ®

第3章:熟達達成のためのELMツリーを用いたコーチング

第4章:熟達達成のためのELMツリー実践ツールキット

第5章:スポーツ選手の感情タンク

第6章:感情タンク実践ツールキット

第7章:スポーツマンシップの先にあるもの:試合への敬意

第8章:試合への敬意の実践ツールキット

第9章:ダブル・ゴール・コーチのためのケーススタディ(10選)

第10章:コーチとして次の世代に引き継ぐものを再考する

本格版書籍『ダブル・ゴール・コーチ(東洋館出版社)』

元ラグビー日本代表主将、廣瀬俊朗氏絶賛! 。勝つことを目指しつつ、スポーツを通じて人生の教訓や健やかな人格形成のために必要なことを教えるために、何をどうすればよいのかを解説する。全米で絶賛されたユーススポーツコーチングの教科書、待望の邦訳!

子どもの頃に始めたスポーツ。大好きだったその競技を、親やコーチの厳しい指導に嫌気がさして辞めてしまう子がいる。あまりにも勝利を優先させるコーチの指導は、ときとして子どもにその競技そのものを嫌いにさせてしまうことがある。それはあまりにも悲しい出来事だ。

一方で、コーチの指導法一つで、スポーツだけでなく人生においても大きな糧になる素晴らしい体験もできる。本書はスポーツのみならず、人生の勝者を育てるためにはどうすればいいのかを詳述した本である。

ユーススポーツにおける課題に関する書籍『スポーツの世界から暴力をなくす30の方法』

バレーが嫌いだったけれど、バレーがなければ成長できなかった。だからこそスポーツを本気で変えたい。暴力暴言なしでも絶対強くなれる。「監督が怒ってはいけない大会」代表理事・益子直美)
ーーーーー
数えきれないほど叩かれました。
集合の際に呼ばれて、みんなの目の前で顔を。
血が出てたんですけれど、監督が殴るのは止まらなかった……
(ヒューマン・ライツ・ウォッチのアンケートから)

・殴る、はたく、蹴る、物でたたく
・過剰な食事の強要、水や食事の制限
・罰としての行き過ぎたトレーニング
・罰としての短髪、坊主頭
・上級生からの暴力·暴言
・性虐待
・暴言

暴力は、一種の指導方法として日本のスポーツ界に深く根付いている。
日本の悪しき危険な慣習をなくし、子どもの権利・安全・健康をまもる社会のしくみ・方法を、子どものスポーツ指導に関わる第一線の執筆陣が提案します。

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スポーツコーチング・イニシアチブ

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