サッカー指導を通して選手の自主性・自立性を育む~今村吉孝さん~

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NPO法人スポーツコーチング・イニシアチブでは、DOUSHI~これからのスポーツ教育の話をしよう~というコミュニティを運営しています。

このコミュニティとコーチング・ステーションのコラボ企画として、オープンインタビューという企画があります。この記事では、オープンインタビュー企画第四弾として、FCアビリスタの今村吉孝さんをゲストにお迎えして、サッカー指導を通して選手の自主性・自立性を育むことついてお伺いしました。

 

サッカーを始めたきっかけは恩師との出会いから

河野

サッカーということだったのですが、何がきっかけでサッカーをプレイヤーとして始められたんですか?

 

今村

小学生のときに、自分が通っていた小学校のサッカー少年団があったんです。自分も結構やんちゃなタイプの子だったので、たぶん親が何かスポーツをやらせたほうがいいだろうみたいな感じだったんだと思います。「学校にサッカークラブあるけど、見に行く?」みたいな感じで連れて行かれたのがきっかけですね。

 

河野

そうなんですね。ご両親がやっていたとか、そういうことではないんですね?

 

今村

では、ないですね。

 

河野

サッカーって自然とやる風潮がありますよね。意識せずというか。僕もサッカーがやりたかったんです。でも、近くにサッカーチームがなかったのと、おじいちゃんが空手をやっていたこともあって空手を始めたんです。
今村さんは、サッカーを小学校2年生からされていたということだったんですけど、印象に残っていることとかありますか?選手としてやっていたなかで、小学校のときの印象に残っていたこととか。

 

今村

そうですね、小学校のときに印象に残っていたのは、そのときのチームの代表というか監督です。その少年団を立ち上げたのがそこの小学校の先生で、自分も5年生の時に担任を持ってもらった先生なんですけど、その先生の影響が大きかったのが印象的ですね。
昔にしては珍しく、子どものことを一番に考えた先生でした。自分の子どもの時もどちらかといえばサッカーはボランティアのお父さんコーチとかが教えているチームが多くて、サッカーを経験しているお父さんとかが教えにきて、「教える」って感じのチームが多かったと思います。
例えば「このポジションはこういう風にしろ」とか、ああしろこうしろだったり、手っ取り早く勝つためにとりあえず言われた通りにプレーしろみたいな。
要は、大人の言うことを聞いてサッカーをやらされているようなチームが多かったと思うんですけど、自分が所属していた少年団を立ち上げた先生は、教育者だったこともあって、子どもを第一に考えて。勝ち負けよりも、その子どもがサッカーを楽しめるような環境だったり、失敗してもチャレンジを賞賛する教え方だったりをしていましたね
あとは、長くサッカーを続けていくと考えたときに、技術がしっかり身に付いていないと中学に行っても高校に行ってもいい選手になれないからということで、勝ち負けよりもしっかりボールが扱える選手を目標に育てていました。低学年とかだとやっぱり相手にガーッと来られたら、ボールを取られたくないとか、怖くなって蹴っちゃうとかあると思うんですけど、そういうのも、怖がらずに「取られてもいいからしっかりチャレンジしなさい」と教えられましたね。
逆に怖がってボールを離しちゃったほうが怒られちゃって「逃げずに、どんどんチャレンジして、相手をかわしていきなさい、抜いていきなさい」という指導をされました。
その時のことを振り返ると自分自身もスキルが身に付いたし、チャレンジ精神というか、そういうのが自然と身に付いたかなと思いますね。
その巡り合わせというか、自分が所属した小学生時代のそのチームは、自分にとってはすごく良かったかなと思います。それはすごくポジティブな体験になりますね。

 

河野

なるほど。それは素敵な出会いですよね。たまたまだと思うんですけど、すごく素敵な先生だなと思いました。そんな素敵な方と出会った結果、中学校でもサッカーをやっていくんですよね。

 

今村

ではないんですよ(笑)
中学では、地元の中学校にそのまま進学して、サッカー部にも入ったんです。でもその環境が真逆になってしまったんです。
さっき言った先生とは正反対のスタイルで指導する顧問の先生でした。厳しいしすぐ怒るし、言う通りにしないと怒られちゃうみたいな先生でした。
あとは、自分の住んでいた学区の関係もあって小学生のとき一緒にやっていた子たちの大部分が別の学校に行っちゃって、自分はその隣の中学校に進学することになったんです。
自分が小学生のときに所属していたチームって、うまい子がいっぱいいたから、それなりに自分の代はレベルが高くて強かったんですよ。
自分が進学した中学校のほうは、隣の少年団の子たちで、言葉は悪いですけど、対戦するといつも大差で勝っていたような相手のチームの子たちが進学する学校に自分がそこにポツンと入ってくるような状態になってしまったんです。
中学生に上がったばかりってやっぱり、大人になる過程の中でも精神的に不安定な年代だと思うので、標的にされるじゃないですけど、いじめみたいな感じがありました。
そんな感じで、そこのコミュニティにいたくないという気持ちになって、中1までサッカー部に入っていたんですけど、辞めて、中2中3はバスケ部に入っていたんです。その当時、ちょうど『スラムダンク』が流行っていて。
じゃあ何やろうかと思った時に球技は結構得意だったので、じゃあバスケットをやろうかなと思って。たまたま、バスケ部はその当時のキャプテンをやっていたやつが知り合いで、仲がよかったのでバスケ部に入って、2年間はバスケットをやっていたんですよ。

 

河野

いろいろありますよね(笑)へえー、面白いですね。でも、バスケは高校でやろうってならなかったんですか?

 

今村

そうですね。バスケはバスケですごく楽しくて仲間にも恵まれたし、それなりに楽しさもあったんですけど、高校に行くときに自分はサッカーのほうが好きかな、やりたいかなというのがあったんです。
その当時、成長が早い・遅いってあると思うんですけど、あんまり体の成長が早い方ではなかったんです、背もそんなに大きくなかったし。だから高校ではバスケットというよりも、もう1回好きなサッカーをまたやり直そうみたいな気持ちになって
どうせやるんだったら、強いところでやりたいなと思って、その当時、埼玉県では1位2位を常に争う武南(ぶなん)高校に行って、チャレンジしてやってみたいなというのがあったんですよね。

 

河野

ああ、なるほど。他の道も見た結果、やっぱりサッカーってすごくいいなというところですかね。

 

今村

そうですね。たぶん、小学生時代の成功体験じゃないですけど、楽しかったのとかがあったのかなとは思うんですけどね。

 

河野

なるほど。でも、結構珍しいですよね。1回こっちで、こっちに逸れるとかは聞いたことあるんですけど、戻るという。意外と少数派というか。あまり聞いたことない話だなと感じました。

 

今村

サッカーが嫌いになってしまったというよりも、中学生になったときの先生との関係とかチームメイトの関係とか、人間関係的なところでうまくいかなかったのがあったので。たぶんサッカー自体はずっと好きなままでいたと思うんですよ。それでまたサッカーやりたいと思ったのかもしれないですね。

 

ドイツ留学を振り返って

河野

なるほどありがとうございます。
というところで、僕もあんまり詳しくはないんですけど、武南高校は強いチームですよね。部活動に入ってということだったんですけど、ここに入って2年生のときにドイツ留学というのがすごく面白いポイントだなと。入って何があってとか、留学のきっかけをお伺いしたいなと思ったんですけど。

 

今村

ここもいろいろ、心情的には複雑で…。中学生のときにバスケット部でやっていて、その当時からオスグッド(=オスグッド病)になっちゃったというのがあるんですよね。
武南高校に行ったはいいけど、オスグッドで痛みがあってあまりうまくいかなかったというのと、時代もあり基本的に1年生の子たちは球拾い、声出し、昔ながらの先輩に呼び出されてのちょっと理不尽なことがあったりとか(笑)。当時の仲間とは今でも繋がっているんですけど。そういう環境ではあったんですが、そこを乗り越えて2年、3年までちゃんとがんばっているやつとかはそこからプロになっている選手とかも同級生では何人かいるんです。

ただ、その頃の自分には逃げになっている部分があってオスグッドだったりとか、サッカーが1年生のときはあまりやれないという環境のなかだったりとかでちょっと悩んでいたんです。
親が「ドイツのブレーメンに日本人学校があって、そこに行って現地でサッカーできるみたいだよ」と記事を見つけて持ってきたんですよね。
「こういうのあるけど興味ある?」みたいな話をされて、行ってみたいなという気持ちがすごくあって。それで、まあ親のすねをかじって(笑)「行かせてください」とお願いしてドイツに2年間、1年半ぐらい行っていた感じですね。

 

河野

いいですね。好きな競技で留学って素敵ですよね、楽しいだろうなって。ちなみに、ドイツでの経験をお伺いしたいんですけど、どんな感じでしたか?

 

今村

プレイヤーとしては、今でもブンデスリーガで大迫選手(ヴィッセル神戸に移籍)が所属していたり、昔でいえば、奥寺さんが所属してる有名なチームでプレーさせてもらっていました。
本当に、ドイツのなかでも名門なんですけれども、当然ユース年代のそういう名門チームのレベルはすごく高いわけですよ。
それで、ランク分けがあるんですね。「Erste(=エァステ 最初の)」、「Zweite(=ツバイテ 2番目)」とかっていう、Aチーム、Bチーム、Cチームという風に分けられてます。
日本人学校自体はそこのCチームという形で学校のサッカー部があって、そこに所属しながら練習生という形式でブレーメンのBチーム「Zweite(=ツバイテ 2番目)」に参加できるシステムがあったので、そこに参加させてもらっていました。
ドイツの選手たちと一緒に練習したりとか、たまにリーガの試合を見せてもらったりとか、そういう形でプレーをしたという感じです。
今の時代でいえば、日本でいう高校サッカーとかで活躍した選手を選抜してヨーロッパ遠征に行って、対戦するとかありますよね。
ああいうレベルで自分もプレーできていたわけではなかったんですけど、やっぱり現地の当時のドイツのサッカーというのがある程度身近に経験できて。
スタジアムまで足を運んで、ブレーメンのトップチームの試合をスタジアムで見られたりとか。そういったところでは、自分がプレーした経験と、スタジアムの現地で試合を見られたりとか、そういったいい経験ができたなというところはありますね。

 

河野

なるほど。ちなみに行ってみて、ドイツの指導と日本のその指導の違いみたいなところってありましたか?

 

今村

25年以上前の話なので、今とは比べられないと思うんですけど。自分が行っていた当時は、日本だと昔ながらのトップダウンの指導がありました。
高校なら一学年に何十人も部員がいて、指導者が1人か2人かみたいな感じであんまり、指導という指導じゃないという環境だと思います。
ドイツはサッカーが文化として根付いていたという印象です。ひとつのチームに、18人とか20人弱、20人前後ぐらいでひとつのチームとして機能していました。
役割としては監督がいてコーチがいて。練習時間も、2時間という枠のなかで集中してトレーニングをするという環境が当時からあったので、そういう意味でいったら全然進んでいましたよね、日本よりは。

 

河野

なるほど。当時の心境とかってどんな感じですか? 今だからこそいえることもあると思うんですが。

 

後藤

当時、日本から向こうに行ったときに感じたことってたぶんたくさんあるのではないかと思っていて。実際に、その進んだ仕組みのなかにいた今村さんは実際に、どういう風な感覚を持たれていたのかなというところは僕もお聞きしたいなと思いました。

 

今村

たぶん、その当時自分も精神的にはやっぱりまだまだ子どもだったんだなって、今振り返れば思います。自分が飛び込んだその環境のなかで、自分ができることを一生懸命やっていただけになっていたというか
今、中学生を教えるようになって、目標設定だったりとか、そこから逆算してじゃあどういう風に行動に変化をつけるとか、そんな話は子どもたちともしますけど、でも自分自身が若いときに向こうの環境に飛び込んで、実際そういう目標設定だったり逆算したりできていたかというと、振り返るとやっぱりできていないんですよね。
向こうに行って、向こうの生活のなかで、一日一日をただ過ごしているみたいなところがあったかなと思って今振り返ると当時のサッカー先進国へ行って学べる事は沢山あったと思うんですけどそこまで意識的に学んでいなかったと思います。すごくもったいなかったなと思いますね。

 

帰国後に歩み始めた指導者としての道

河野

ドイツから帰国した後の、コーチとしての活動の話に入っていきたいなと思っているんですが、帰国後は社会人としてプレーをしていったという形ですかね?

 

今村

そうですね。自分がサッカーで行きたかった大学がありました。しかしそれがうまくいかず、浪人してまで入ろうというところがなくて、その当時の自分に。
ただ、子供が好きで子供達にサッカーを教えるのが楽しかったので指導者やろうかなっていうのがありましたね。
でも、当時自分がまだ二十歳前後ぐらいのときに関わってくれた大人の人は、「もったいないから、体が動く間は競技者としてもっとやったほうがいいんじゃない?」って言ってくれる人もいたんです。
社会人でやりながら、そこはそこで一生懸命プレイヤーとしてはがんばってやろうと思っていて、と同時に子どもに教えることもやりたかったんです。
子どもが好きだったので、子どもに教えるのも楽しいなと思って、指導者もいいなというのがあって、二十代の前半ぐらいまでは並行してやっていたという感じですね。

 

河野

なるほど。でもなんかいいですよね、僕も恩師というか、空手でお世話になっていた方って、やっぱり実業団でプレーしながら教えてくださっていて。
上から目線でいわれるよりも、自分がプレーしながら教えてくださる姿って、自分にとってはすごくかっこいいなと思っています。
そういった形で指導されているのは、子どもたちにとってもすごく刺激があったんだろうなと感じました
ちなみに指導のなかで、例えばこういうところが苦しかったとか、最初に指導を始めたときにうまくいかなかった経験とかってありますか?

 

今村

そうですね、指導のスタートが幼稚園の子だったり、小学生の子だったりしたので、当時は自分も若くて、子どもたちに教えるのとかも楽しいなというのがありました。
その時に、行きたい大学に行けなくてスポーツ系の専門学校に通っていたんですけど、そういったところでいろいろ学べることもあったので、子どもの指導とかでその当時は悩んだりした記憶があんまりなくて
やっぱりちっちゃい子なので、楽しませることとか、自分自身が一緒にやって自分も楽しむこととか、そういったことを意識しながらやっていたのであまり、指導者になり始めとかでは困った経験というよりも、楽しかった記憶のほうが多いですかね。
むしろ、ある程度経験を積んでからのほうがありました。今のクラブチーム体制になって、ある程度結果が出てきて、結果を出さないとな、みたいなのがプレッシャーになった部分があって。
苦しさというか、勝てないときとかに、自分の教え方が悪いのかなとかって悩んだりとかはありました。

 

河野

いやそれ、すごいわかりますね僕も。なんか、ただ教えるのって結構楽しいんですよね。ありがとうって言われるし、向こうも素直に聞いてくれるし。
そこにやっぱり勝利というものがあるからこそ、負荷がかかって、歯車が狂うというか。勝たせたいからこそ叱ってしまうときもあるし。
でもそれって、自分が勝たせたいというエゴなのか、それとも本人たちのために、というものなのか。
気持ちのズレとかバランスが崩れていくような瞬間というのも、僕まだ全然若いですけども、わかるような感じもあって。すごく共感しています。

 

結果を出すことと楽しむことのせめぎあいで見出した“ボトムアップ指導”

後藤

キャリアとしては小学生の年代から社会人の年代まで選手として活動されていたと思うんですけど、そのなかで自分がスポーツ指導をするときはこういうところを大事にしたいなと思っていたことって当時ありましたか?

 

今村

そうですね、やっぱり最初はサッカーを、楽しくやってもらうことでしたね。
楽しませるということをすごく意識しながらやっていたと思うんですけど、やっぱりある程度年数が経って、子どもたちもチームとしても成長して、強くなってきて、結果出さなきゃとなってきた。楽しさも必要だけど、結果を求めて厳しくすることで、子どもが楽しくなくなっちゃったら、ちょっと違うよなということも感じて、考えながらやってきた感じですかね。
小学生だとまだ素直な子が多いから厳しくしてもついてきてくれるし「もしかしたらこれ理不尽なんじゃない?」みたいな言い方をしても、素直についてきてくれるんですよね。「そうだな」って思ってくれて。
そのなかで、今は中学生とかを見るようになって、ある程度結果出さなきゃ、強くしなきゃみたいなのがあって、厳しくやっていくことで実際、ある程度は強くなるし、結果も伴うんですけど。
その後卒団していった子達が大学まで続けている選手がどのくらいいるかとか考えたときに「厳しくする」ということの意味みたいなのをすごく考えるようになりました。ボトムアップの指導法にチャレンジをしだしたのも、そういうのもあるんですよね。
自分の経験自体が、小学生のときにそういう恩師の先生に出会って、楽しくサッカーをやらせてもらって「失敗を恐れずチャレンジする」ということがベースにあるけれど、自分が指導者になって、楽しくやっていくだけじゃなくて結果を出さなきゃとなったときに、厳しく指導することで「これって本当の意味で子どもたちの成長につながっているのかな?」って考える時期があったんですよね。
その時期に「この教え方とか指導法って、いいんだろうか」、「子どもたちにとっていいんだろうか」ってすごく考える時期があって。そうやって悶々としているときに、広島観音(かんおん)高校で、インターハイで優勝された畑(はた)先生の本をたまたま手に取る機会があったんです。
自分が今悶々としている中で「やりたいと思っていたことって、これかも!」と気づいたのがきっかけで、ボトムアップの指導方法をやってみようと思ったんです。

 

河野

なるほど。その「厳しさ」というところから疑問を持って、その結果、ボトムアップ指導というのが最適なんじゃないかなという答えにたどり着いたということですよね。

 

今村

そうですね。子どもの成長を考えたときに、「成長って何か」って考えたら、やっぱり子どもが「自律」することかなと思って。自分で、自分自身の目標だったりとか、行動を決められるとか。自分で自分をコントロールできる。自律するって、律するという字の。
自分で立つ「自立」もそうだし、自分を律する「自律」もそうだし。子どもが自律するということが、成長なんじゃないかなと考えるようになりました。

 

ボトムアップ指導の効果

河野

ちなみにボトムアップ指導の結果というか、やってみて感触はどうでしたか?

 

今村

ジュニアユースを立ち上げて、2年目から導入したんですね。1年目のときに、今までのトップダウン的な指導というか、基本的には自分が主導でいろいろ教えて、成長させようみたいなやり方でした。
1期生の子達が上の学年の相手にも勝ったり、ちょっとした結果がでたこともあって。
でも、自分自身がいろいろ主導して教えて成長させたんじゃないか、みたいな感覚があって「でもそれって違うんじゃないかな?」というのがすごく引っかかっていたんです。
そのタイミングで、ボトムアップに出会ったので、ちょっとチャレンジしようと思って、1期生の子たちが、中2になるタイミングで、子どもたちに任せてやることにしました。
「みんなで話し合いながらいろいろ決めながらやっていくよ」って伝えたんです。メンバー選考もそうですし、練習なんかも自分たちが今課題と思っていること、「何が課題って感じてる?」というのを聞きながら、「じゃあそれに対してどういう練習をしようか」みたいなやり方で、取り組んでいったんですね。
その時、その1期生の子たちは、自分のなかではある程度うまくいったなという感覚があって「中学生の子たちでも、自分たちでこれだけできるんだ」っていう感覚がその時はあったんです。
その1期生、2期生3期生ぐらいまでは比較的、ある程度うまくいっていたと思うんですよね。子どもたちに任せた状態で、2期生の子なんかはクラブユース選手権で関東大会にも1回出れたので。
そういった意味でも、子どもたちに主導権を渡すというか、子どもたちにやってもらいながらサポートするという形でも「中学生だけどこれだけできるんだ」という、ある種、ボトムアップの成功体験でした。でも、うまくいったのは3期生まででした。
4期生あたりから「あれ?うまくいかないぞ」ということがでてきて。自分もまだすごく不勉強だったところがあったので「うまくいかないぞ」となってから立て直せなかったんですよね。
チームがぐちゃぐちゃになっちゃったりというのも経験していく中で、自分の不勉強でこんなになってしまうんだと思って、その世代の子たちには、本当に悪いことしたなと思っています。

 

ボトムアップ指導の失敗談

河野

なるほど。ちなみに具体的にその失敗の経験というか、傷口に塩を塗るような感じですけど(笑)
たぶんこのインタビューを見てくださっている方にも、ボトムアップで意識しているようなところがあると思うんですけれども。具体的にどんな失敗があったのかというのをお伺いしてみたいなと思いました。

 

今村

今になって自分で振り返っての感覚なんですけど。自分自身の組織のマネジメント能力が、やっぱり低かったなと思って。
3期生までの子たちがうまくいっていたのはなんでなのかなと考えたときに、3期生までの子たちはまず「サッカーに対する情熱」みたいなのをみんなすごく持っていたんですよ。
とにかく、サッカーが大好きで、上を目指してやりたい、強くなりたい、うまくなりたい、試合に勝ちたいという、そういう気持ちの強さとか情熱を持っていた子がすごく多くて。
それがあるから、自分があんまり手をかけなくても、クラブのビジョンだったりとかミッションとかの話や、皆んなの自立を目指しているよと伝えていく中で、子供たちが自発的に考えてくれて、子どもたち自身でまとまれたのかなと思うんですよね。
だから全部を言わなくても、クラブとしてはこういうことをやりたい、こういうことを目指している、みんなにも自立してもらいたいし、みんな自分たちの力で成長してもらいたい、だから自分たちでミーティングして話し合いながらルールを決めたり、課題を見つけて、自分たちでいろいろ取り組んでやってみよう。という想いが思いのほか簡単に伝わったというか。そこにみんな、子どもたちがちゃんと乗ってくれたんだと思うんです。
だから、あんまり手がかからなかったんですよねみんな。そしてみんな仲がよかった。1期生から3期生までは大きな問題もあまり起こらず… 2期生ではみんながみんな仲が良かったかというと、そうではなかったかもしれないですけど、目指すべきところというか、ベクトルがちゃんと合っていたし、試合に勝ちたいとか、サッカーがうまくなりたいというところでまとまれていたというのがあると思うんですよね。
でも、4期生以降だと入団説明会でも「ボトムアップで選手主導でやっています」という説明を聞いて、その前提で入ってきている子たちだから、根底の部分がうまく伝わってなかったかなと。
自分たちで、いろいろできるというのが「好きにできる」とか「勝手にやっていい」みたいな誤った解釈で伝わってしまったところがあるかもしれないですよね。
結局、チームをつくるにも中学生なので、サッカー的な力がある子って、やっぱり仲間内でも一目置かれるじゃないですか。
そういう子に影響されるところがすごくあると思うんですけど、今振り返ると3期生まではサッカー的に力のあるリーダーになる子が良かったんだと思います。声を出して、チームをまとめられるというか。
でも4期生以降は、サッカー的にみんなに認められていて、力のある子が、「みんなやろうぜ!」みたいな感じでみんなに声をかけてまとめられる、そういうタイプの子じゃなかったり、リーダーシップをとる子がいてもまわりの子達のフォロワーシップがなかったりっていうのもあると思うんですよね。
それに対して、自分がちゃんとマネジメントしてあげて、変えてあげるということをしないといけなかったのが、うまくやれていなかった。というのがあると思うんです。
畑先生がやっているボトムアップでも、子どもたちでワールドカフェとかで、みんなで話し合って、ミッションとかビジョンとかをちゃんと共有しながら、自分たちでルールづくりをするというのがあるので、うちのクラブでもみんなで話し合って、自分たちが成長するために、目標達成するために、ルールをちゃんと作ろうといって、ルールを作るんですが、作ったルールを破る子が結構出てきた。
そういったことでも、3期生までやれていたことがやれないということが出てきたときに、自分がうまくマネジメントできなかったんですよね。たとえば、ルールを破ってしまう子に対してとか。
結局、今のスポーツコーチング・イニシアチブさんのほうでも、ダブル・ゴール・コーチングというので勉強させていただいていますが、たとえば、承認だったり、ほめるのと叱るのだったら5対1とかって。そういう、いいところを見てあげるというのをちゃんとしたうえで、できていないこととかダメなことをちゃんと叱るべきということで、ちゃんとやれればよかったと思うんですけど、いいところをほめるとかがたぶん少なくて。
やれていないところを、「ルール破ってるじゃん、ダメでしょ」とか、「それ迷惑だと思わない、気づけよ」とか、そういうネガティブなところを注意したり、指摘する回数が増えてしまっていたんですよね。
そういうこともあって、子どもたちも面白くないってなるし、人間なので、怒られてばっかりだとどんどん疲弊していくじゃないですか。要は、負のループにはまってしまったというか。そういうのがあって、うまくいかなかったというのもあります。
結局、結果的には自分自身の力不足が招いたことではあるんです。子どもに任せてやる、信じて見守るというスタンスで、あまり口出しせずに、うまくいくことも失敗することも両方経験だと思って、うまくいかないことがあっても、介入せず、それを自分たちで話し合わせて、解決させようとしてました。子ども同士でミーティングさせて、改善策とか出てくるじゃないですか。
「こういう理由でうまくいかなかった、だから次はこうしよう」という。次はこうしようと出てきたのに、また同じように失敗を繰り返すんですよね。「この前みんなで話し合ってこういう風にしようっていったのに、やってないじゃん」みたいな(笑)
そういうのを繰り返しちゃって、指摘をすることが増えて、うまくいかなくなってしまったというのが失敗談ですよね。

 

河野

なるほど。これめちゃくちゃ貴重な話だなと思って。なんかリアルな失敗談とかって、結構大事だなと思うんですよね。
よく出ているのって成功体験ばかり載っていて。まさにこのインタビューで大事にしたいのって、こういう失敗体験がすごく大事だなと感じています。でもそれぞれにメリット・デメリットってあるじゃないですか、いろんな指導法で。
それは人によって違うから、なんかすべてがうまくいく法則みたいなものはないと思っているのですごく共感できました。

 

失敗を経て、今大事にしていること

河野

ちなみに、成功体験も失敗経験を積み重ねたなかで、今大事にしているようなことって何かありますか?

 

今村

やっぱり組織マネジメントという意味でのトップダウン的な関わり方ですね。その「トップダウン」という言葉の誤解があると思うので、先にちょっと話をさせていただきたいなと思います。
たぶん世間一般的に、スポーツ界で「トップダウン」というと、指導者が高圧的だったりとか、暴言だったり、理不尽なことをするとか、暴力があったりとか。そういったイメージがあるから、「トップダウン」はあまりよくないと思う人もいると思うんです。
ただ、「トップダウン」って組織としてのマネジメントという意味でいうと、さっき言ったクラブのミッションとビジョンとか、うちでいうとビリスタとしてのルールはこうだよという枠組みはトップダウンで「うちはこういうクラブだからね」「これはちゃんとやってね」というもの与えるんですが、その枠を与えたほうがうまくいくのかなというところですかね。
失敗談で話したことでいうと、クラブとしてそういうミッションとかビジョンとかを掲げて、子どもたちに伝えていても、主体性が間違えて伝わっているから、それをやるかやらないかは選んでくださいみたいな感じになっちゃっていたのかなと思うので。そこがちょっと失敗したところなのかなと。

 

河野

なるほど。

 

今村

先生も「トップボトムアップ」という言い方をされていて。商標もとっているみたいなんですけど、畑先生もボトムアップって、0:10(ゼロ・じゅう)、10:0(じゅう・ゼロ)じゃないよという話をしてるんですよね。
やっぱりトップダウン的に関わるところももちろんあるという話もされているので、マネジメントにおいて組織を運営するとか、組織をいい状態にするうえでは「何でも好きに、自由でいいよ」「何でも自分で考えてやっていいよ」ではなくて、ある程度、ミッション、ビジョンなどの組織の枠組みというのはトップダウンで落とし込まないといけないことなんだなというところに気づきました。
その失敗体験があったから「なんで失敗しちゃったんだろう」って考えて、やっぱり組織マネジメントも少し勉強しなきゃいけないなと思ったんです。そうしていろいろ勉強していくと、組織としての枠組みはちゃんとしていないとやっぱりうまくいかなくて、崩壊してしまうみたいなところがあるってわかりました。
畑先生も「トップボトムアップ」という言い方をしているなかで、トップダウンの部分というのは、ミッション、ビジョン、バリューをしっかり組織に落とし込んでいて、そのなかでちゃんと、個人に託されたミッションはちゃんと自分で考えて「今、自分に何ができるかちゃんと考えて行動しようね」ということだと思うんです。
だから自分もまだまだ勉強しないと、やばいなと思って。自分自身が。

 

河野

そうなんですか? どんな時に感じるんですか?

 

今村

それこそ、さっき話した4期生以降の子たちに本当に申し訳ないなと思ってしまうかなって。
自分の不勉強や力不足でチーム自体がいい状態で3年間送れなかったとなったら、やっぱりその子たちにとっては不幸というか、不満が残るというか。いい思いができずに卒業してしまっている子たちがいるじゃないですか。
つまり、自分は組織の上でそういう子どもたちを預かっている立場として、自分の不勉強で子どもたちを不幸にするということが起きてしまったということですから、上に立つ人間がちゃんと勉強しないと、大変なことになってしまうんだなということが身にしみてよくわかったというか。

 

河野

なるほど、大事ですよね。指導者も責任も負いながら、成長していくという姿が一番、子どもたちにも響くんじゃないかなと思いながら、僕も日々過ごしています。

 

今村流“指導方法の学び方”

河野

ちなみに何か、最近学んだことでおすすめのこととか。どういう風に学んでいるとか、というのがあれば教えていただきたいなと思うんですけど。

 

今村

インプットに関していうと、本を読んだり、ネットで記事をいろいろ検索してみたりとか。あとは今、サッカーコミュニティに参加していまして。そのコミュニティはサッカーを指導するスキルだけではなくて、サッカー界を本当に魅力的な業界にするということですごく力を入れているFiC(フィック)という組織なんですけど。そこに今、参加させてもらっていて。
サッカーの知識や指導だけではなくて、ビジネスの関係だったり、教育に関してとか、子どもたちにより良いサッカー環境を提供するために、子どもたちの成長を考えた上での指導ってどんな指導かなとか、指導者自身が人としてどうあるべきかとか、また、サッカー界、ビジネス界でも著名な人を招いて話を聴く機会があったりと、幅広くいろいろ考えさせられるようなコンテンツがいっぱいあるんですよ。
そういうコミュニティなので「教える・教わる」という関係ではなくて、意見交換できる場になっていて、いろんな指導者から話を聞いたりすると新たな発見があったりとか自分もちょっとそれ今度挑戦してみようかなということがあったりするので、そういうところで、いろいろ勉強させてもらっていますね。
あとはそれを実際、自分の現場でどういう風にアウトプットしていくかというのは自分のなかでいろいろ工夫しないといけないなと思っているから、そこの変換作業というか、インプットからアウトプットへ、どううちのクラブにいい状態で落とし込むかという作業が、自分のなかで追いついていないという感じですかね。

 

選手が自主・自立するために必要なこと

後藤

少し大枠の話になるかなとも思うんですけれども。
今までのお話で、選手たちに自主性とか自律性を持ってもらった状態でスポーツ指導をするうえで、チームとしては大きな枠組みが大切だというところをお話いただいたかと思います。
それと指導者としてはやっぱりインプットで、ちゃんと組織マネジメント等々の勉強をちゃんとインプットしてアウトプットすることが大事だというところまでわかったんですけれど、選手にも大切なことってあるんじゃないかなと思って。
選手が、自分で自主・自立を目指すうえで大切なポイントって何かなというのをお伺いしたいなと思いました。

 

今村

選手が自主・自立を目指すとなった場合に、自分の考えとしては、やっぱり夢とか目標がある子って強いと思うんですよね。そういう思いを持ってもらえるような関わり方ができるのが、たぶん一番いいと思っていて、そこの難しさもすごく感じているんですよね。
やっぱり、クラブでもサッカーノートを使っていたときに、自分の将来の夢とか目標とか書く欄からあるんですけど、当然みんなサッカーをやっているので「プロサッカー選手になる」とか「バルセロナに入る」とか「リバプールに行けるような選手になりたい」とか「日本代表に入る」とかっていう目標を書くんですよね。
でも、それが徐々に形骸化していってしまうというのがあって。やっぱり今の子達って日本の恵まれた環境の中でサッカー以外にも楽しいことっていろいろあるじゃないですか。
中学生年代で「俺はもうサッカーで生きていくんだ」みたいな子って、今はあまりいないのかなと。特にうちは町クラブで、今現状は埼玉県のなかでも本当にトップのクラブではないので「本当に俺はプロになるんだ」とか「本当に俺はサッカーで生きていくんだ」みたいな強い信念とか思いとか夢、目標を持っている子たちって、本当に一握りなのかな。
口では言うけど、じゃあ実際、「本気でそこまで目指している?」となったときに、その思いって中学生ぐらいだと少しずつ薄れていってしまうのかな、というところがあります。
だから気付いたときに、夢・目標みたいなのを再確認する作業とかもするんですけど、やっぱり年代的にも少しずつ、自分の立ち位置がわかってくる年代でもあるじゃないですか。
小学生ぐらいだと純粋に「僕はサッカー選手になるんだ!」って言って、夢を追いかけて必死になって一生懸命やるし、何も疑わずに、純粋にそこを目指してやれる年代だと思うんです。
でも中学生ぐらいになると、ちょっと自分の立ち位置が見えてきたりとかってなったときに、プロになるのなんて無理なんじゃないかと思うようになったり、サッカー以外の楽しいものを見つけてしまって、そっちに熱中することがあったりしますよね。
それが良い悪いではなくて、もちろんそういうことも必要な年代だと思うので「サッカーだけに傾倒しないといけない」とはこれっぽっちも思ってないんですけど、子どもたちが夢とか目標とかを持ったときに、一生懸命がんばれるというのがその子にとって一番大切なことだと思っています。
だから、極論として、夢や目標のベースが必ずしもサッカーじゃなくてもいいと思っているんですよ、正直。
サッカーチームでサッカーの指導者をやっているんで、「サッカーで」という思いは当然ありますけど、その子自身がサッカーじゃないことで、何かに目覚めてしまって好きになって「僕はこれ今、めちゃめちゃがんばってるんです」みたいなのがあったら、それはそれでいいと思うんですよね。
だから、なんでもいいから、夢とか目標とか常に何かしら持っていてほしいなというのが、すごく思うところではあります。
自分としては、やっぱりそれがサッカーであれば一番いいなと思いますけど、そういう夢・目標があれば、その過程で逆算したときに、どうしたら自分はそこにたどり着けるかを考えるし、がんばるエネルギーが湧いてくると思うんですよね。
その夢や目標、エネルギーを持続させる難しさみたいなのはすごく感じています。

 

自分がチームを作る上で大事にしていること

河野

自分の持っているチームとか、もしかしたら他のチームに行くかもしれないんですけれども、これから自分がチームを作るうえでここは大事にしていきたいなというものがあったら教えていただきたいなと思います。

 

今村

そこはもう、クラブのミッションでもあるので、やっぱり「子どもがサッカーを楽しめる環境を作るということ」と「その子どもがうちのアビリスタに入って良かったなと思ってもらえるようなクラブにすること」ですね。
うちのクラブに来てサッカーをするなかで得られる指導者との関わりによって、子どもがさっき言ったように自立して、次の方向とか社会に出たときとかに人から必要とされるような社会性というんですかね。そういうところが伸びてもらえるようなクラブにしたいと考えています。
子どもの成長と、アビリスタでサッカーが出来て良かったとなるのが一番で、そこにサッカーの競技としての結果が伴って、プロになる選手がでたら一番いいなと。そこは目標のところですね。クラブのビジョンとしては、「関わった子どもが幸せになること」と、「自立して社会性を身に付けて、将来活躍してもらいたい」という思いですね。

 

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ゲストプロフィール

今村吉孝さん
FCアビリスタ

選手として
小学2年生から 東本郷サッカー少年団でサッカーを始める。
小学生時代はキャプテンを務め、市の選抜でもプレー。
中学時代は顧問、チームメイトとの不調和から一時サッカーから離れる。
高校時代はサッカーを再び再開。
高校1年時は当時全国大会常連だった武南高校へ進学。
高校2年生からドイツ留学。ブンデスリーガ1部ベルダーブレーメンユース所属。
帰国後、社会人チームでプレー。
指導者として
社会人としてプレーしながら、ドイツでの経験を生かし指導者として活動。
ジュニア指導をしていた若いときはトップダウン指導をしていたが、ジュニアユースを立ち上げ2年目からはボトムアップ指導に挑戦。
トップダウン指導、ボトムアップ指導の成功と失敗の経験を重ねる。
ジュニアの時に指導に携わった子がプロ選手、大学サッカー、高校サッカーで活動する姿から、また、OBが久しぶりに遊びに来てくれたり、競技から離れても当時の旧友と集まりフットサルをしたりしていると聞いたりなどするなかで現在を振り返り、
「組織・チームとは?」
「自立、自律した選手を育成するには?」
「スポーツの価値、ユーススポーツのあるべき姿とは?」
など日々模索中。
 

現在

『競技力向上』と『人間的成長』というクラブフィロソフィーと合致することから、SCIサポートのもと、ダブル・ゴール・コーチングを取り入れ、子供たちの成長に寄与し、サッカー界、社会人として活躍できる人材育成ができるチーム創りを目指している。
 

経歴

東本郷サッカー少年団
川口市立東中学校
武南高校(1年時)
ブレーメン国際日本学園 ブレーメンユース(2,3年時)
越谷FC 社会人1部《指導歴》
Liberal Fussball Klub
東本郷サッカー少年団
FCアビリスタU-12
FCアビリスタU-15幼稚園児・小学生の指導歴16年・中学生の指導歴9年。
日本サッカー協会C級コーチ/日本サッカー協会4級審判員

スポーツコーチ同士の学びの場『ダブル・ゴール・コーチングセッション』

NPO法人スポーツコーチング・イニシアチブではこれまで、長年スポーツコーチの学びの場を提供してきました。この中で、スポーツコーチ同士の対話が持つパワーを目の当たりにし、お互いに学び合うことの素晴らしさを経験しています。

答えの無いスポーツコーチの葛藤について、さまざまな対話を重ねながら現場に持ち帰るヒントを得られる場にしたいと考えています。

主なテーマとしては、子ども・選手の『勝利』と『人間的成長』の両立を目指したダブル・ゴール・コーチングをベースとしながら、さまざまな競技の指導者が集まり対話をしたいと考えています。

開催頻度は毎週開催しておりますので、ご興味がある方は下記ボタンから詳しい内容をチェックしてみてください。

ダブル・ゴール・コーチングに関する書籍

NPO法人スポーツコーチング・イニシアチブでは、子ども・選手の『勝利と人間的成長の両立』を目指したダブル・ゴールの実現に向けて日々活動しています。

このダブル・ゴールという考え方は、米NPO法人Positive Coaching Allianceが提唱しており、アメリカのユーススポーツのスタンダードそのものを変革したとされています。

このダブル・ゴールコーチングの書籍は、日本語で出版されている2冊の本があります。

エッセンシャル版書籍『ダブル・ゴール・コーチングの持つパワー』

序文 フィル・ジャクソン

第1章:コーチとして次の世代に引き継ぐもの

第2章:ダブル・ゴール・コーチ®

第3章:熟達達成のためのELMツリーを用いたコーチング

第4章:熟達達成のためのELMツリー実践ツールキット

第5章:スポーツ選手の感情タンク

第6章:感情タンク実践ツールキット

第7章:スポーツマンシップの先にあるもの:試合への敬意

第8章:試合への敬意の実践ツールキット

第9章:ダブル・ゴール・コーチのためのケーススタディ(10選)

第10章:コーチとして次の世代に引き継ぐものを再考する

本格版書籍『ダブル・ゴール・コーチ(東洋館出版社)』

元ラグビー日本代表主将、廣瀬俊朗氏絶賛! 。勝つことを目指しつつ、スポーツを通じて人生の教訓や健やかな人格形成のために必要なことを教えるために、何をどうすればよいのかを解説する。全米で絶賛されたユーススポーツコーチングの教科書、待望の邦訳!

子どもの頃に始めたスポーツ。大好きだったその競技を、親やコーチの厳しい指導に嫌気がさして辞めてしまう子がいる。あまりにも勝利を優先させるコーチの指導は、ときとして子どもにその競技そのものを嫌いにさせてしまうことがある。それはあまりにも悲しい出来事だ。

一方で、コーチの指導法一つで、スポーツだけでなく人生においても大きな糧になる素晴らしい体験もできる。本書はスポーツのみならず、人生の勝者を育てるためにはどうすればいいのかを詳述した本である。

ユーススポーツにおける課題に関する書籍『スポーツの世界から暴力をなくす30の方法』

バレーが嫌いだったけれど、バレーがなければ成長できなかった。だからこそスポーツを本気で変えたい。暴力暴言なしでも絶対強くなれる。「監督が怒ってはいけない大会」代表理事・益子直美)
ーーーーー
数えきれないほど叩かれました。
集合の際に呼ばれて、みんなの目の前で顔を。
血が出てたんですけれど、監督が殴るのは止まらなかった……
(ヒューマン・ライツ・ウォッチのアンケートから)

・殴る、はたく、蹴る、物でたたく
・過剰な食事の強要、水や食事の制限
・罰としての行き過ぎたトレーニング
・罰としての短髪、坊主頭
・上級生からの暴力·暴言
・性虐待
・暴言

暴力は、一種の指導方法として日本のスポーツ界に深く根付いている。
日本の悪しき危険な慣習をなくし、子どもの権利・安全・健康をまもる社会のしくみ・方法を、子どものスポーツ指導に関わる第一線の執筆陣が提案します。

NPO法人スポーツコーチング・イニシアチブについて

スポーツコーチング・イニシアチブ

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