NPO法人スポーツコーチング・イニシアチブでは、スポーツの指導者の方が指導方法で悩むことがないように、さまざまな取り組みをしています。近年のスポーツ界で問題になっているのが、現場での暴力を伴う指導方法。
その背景には指導者自身が適切な指導方法が分かっていないことだけでなく、さまざまな要因があります。
そこで2022年1月7日(金)、国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表の土井香苗さんと、セーフスポーツプロジェクト代表の杉山翔一さんをお招きして「『スポーツから暴力をなくし、成長する子どもを育む!』 指導者・保護者・専門家のための実践レッスン」を開催いたしました。
本イベントではスポーツ界における虐待・暴力の実態を紹介した上で、子どもやアスリートが安心してスポーツに取り組むための方法について、パネルディスカッションを交えてお話をいただきました。
「スポーツ界の子どもの虐待の実態と課題について」
まずはヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表の土井香苗さんより「スポーツ界の子どもの虐待の実態と課題」についてお話をいただきました。
【土井香苗さんのプロフィール】
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今回は2020年にヒューマン・ライツ・ウォッチでまとめた調査報告「数えきれないほど叩かれて:日本のスポーツにおける子どもの虐待」より、重要なポイントをピックアップしていただいた内容になります。
以下、土井さんのお話です。
5人に1人が暴言・暴力の被害も、声をあげにくいのが現状
ヒューマン・ライツ・ウォッチでは、2020年にスポーツにおける子どもの虐待調査を実施しました。オンラインで25歳未満の方381人から回答をいただいた内容を元に、調査報告を共有いたします。
調査結果より5人に1人が暴言や暴力の被害を受けていたことが分かりました。ちなみに暴力被害の具体的な内容を聞いてみたところ、
- 数えきれないほど叩かれた。出血しても止めてくれなかった
- 食事を過剰もしくは制限を強要される
- 負傷中でも試合に出させられた
といったものがありました。
過去に「スポーツ現場における暴力」に関するデータが取られていないため、5人に1人が被害者という割合を多いか少ないか解釈するのは難しいところです。そのため、これから継続してデータを取っていくことで、割合の増減を確認する必要があると思います。
一方で性暴力やセクハラ被害については、381人中5人しか回答が無かったことも注目すべき点です。子どもの性暴力は特に通報が少ない犯罪なので、問題の深刻さを正確に把握するのが難しい部分はあります。
上記のような事情や、他の被害に比べて極端に少ないことから、性暴力やセクハラは被害者が特に声をあげにくいと考えられます。
加害者の責任が問われることは珍しい
スポーツ界で暴力をふるった加害者が、責任を問われることは珍しい傾向にあります。この点からも日本では、スポーツ界で暴力の告発ができない環境ではないかと感じました。
仮に加害者に処分が下されたとしても、せいぜい1年程度お休みして、その後は普通に復帰できてしまうものです。
子どもに対する暴力は、本来は警察が出てきてもおかしくない問題ですが、扱われることは滅多にありません。
半数のスポーツ団体は通報窓口すらなし、さらに匿名による通報はできない
またスポーツ団体の規定が不十分であることも、問題の1つと考えています。実際に65のスポーツ団体を調査してみたところ、そのうち半数以下の31団体しか、通報窓口が設けられていないことが分かりました。
さらに匿名通報できるとなると、その数はさらに限られてしまうのが現状です。また通報窓口を設けている団体であっても、使い方を知らない人もたくさんいることも問題といえます。
ちなみに海外では日本以上に、スポーツでの暴力を防止するための仕組みが整っており、各国でそれを取り締まるための独立専門機関が設けられてきています。
日本の体罰文化は根深い問題である
今回「数えきれないほど叩かれて:日本のスポーツにおける子どもの虐待」を出版したことで、海外の方からも注目していただけました。
しかし日本の体罰文化は昔からあるもので、非常に根深い問題ですよね。そういった文化レベルで染み付いてしまった状況が、国際社会から見ると驚きだったのではないかと感じます。
「虐待・暴力の無い『セーフスポーツ』を日本で実現するためには」
続いては、弁護士でありがら「セーフスポーツ・プロジェクト」の代表を務めている杉山翔一さんにお話を伺いました。杉山さんは虐待・暴力の無い「セーフスポーツ」を日本で実現するためにさまざまな活動に取り組んでいます。
【杉山翔一さんのプロフィール】
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杉山さんからはセーフスポーツの普及に向けて行っていることだけでなく、暴力根絶のために海外で実際に起きている事象についても、解説していただきました。
以下、杉山さんのお話になります。
アメリカでの女性アスリートの訴訟が、スポーツ界に与えた影響
まず私のほうからは、アメリカで起きた「過去に性的虐待を受けた」とされる訴訟について紹介します。
アメリカの体操選手であるシモーン・バイルス選手が東京オリンピックの一部競技を棄権しました。その要因は、過去に自身が受けた医師からの性的虐待により、精神的に不安定になってしまったこととされています。
実際に彼女はオリンピックが終わった後に、米国上院司法の公聴会で「スポーツ団体・FBIは自分を守ってくれなかった」と証言されていました。
この訴訟をきっかけに、今まで表に出てこなかったアスリートに対する虐待やハラスメントが次々と明らかになりました。
日本スポーツ界で暴力・虐待が上がってこないのは文化的な問題?
2020年10月に、スイスの「スポーツ人権センター」がアスリートの虐待に関する問題をテーマとしたウェビナーに登壇させていただきました。アメリカ・イギリス・韓国といったさまざまな地域の方からお話を受けましたが、各国で起きている虐待について、色々と聞くことができました。
各国の問題を聞いてみて感じたことは、日本で虐待の話が表に出てこないのは文化的なものが大きいのではないか、ということです。
日本の「黙ったままがいい」とされている風潮がなくならない限りは、表に出てくることは難しいのではないか。仮に表に出てきたとしても、加害者である指導者もしくは団体から自分が報復されるかもしれないことが、声を上げられない一因となっているのではないか、と認識しています。
そこで私はセーフスポーツ・プロジェクトを通して、日本に根付いている文化的要因を変えていくことを目的として活動しています。
海外のアスリートが自分の権利を守るためにやっていること
海外ではアスリートが自分の権利を守るために、自身が団体を立ち上げています。一方の日本では「アスリートが声をあげるのは控えるべき」という風潮があるので、そういった活動はまだまだ出てきていないのが現状です。
さまざまな方に動いていただくために、海外の団体とも協力して「#スポーツから暴力を無くそう|Athletes Against Abuse」というキャンペーンを立ち上げました。米国やドイツでは「アスリートの表現の自由が尊重されるべき」とアスリートが声をあげることが少しずつ当たり前になってきています。
しかし日本の現役アスリートが声をあげるのは、まだまだ難しい。実際に私が「やったほうがいい」と助言したとしても「あなたは法律事務家の人だからね」と言われてしまうのが現状です。その中でも唯一の救いが、元バレー選手の益子直美さんが積極的に参加し、声を広げてくれたことです。
暴力断絶のために日本で「セーフスポーツセンター」を立ち上げる
ここで私が現在行っているセーフスポーツ・プロジェクトの活動について、お話しさせてください。
2021年10月ごろに土井さんとともにスポーツ庁を訪問させていただきました。ヒューマン・ライツ・ウォッチさんの調査報告も踏まえた上で、日本でも「セーフスポーツセンター」の立ち上げを、提言させていただきました。
現時点で私が考えているコンセプトは「誰もが安心して、自分のことを守ってもらえると考えて相談できる場所」と考えています。
一方で現在抱えている課題は、スポーツ団体にはそれぞれ持ち場があることです。そのため団体を横断的に移動できなかったり、自分の団体にも相談できなかったりするアスリートが多いのが現状です。そういった問題を解決するために、相談窓口として団体に関わらない組織が必要だと考えています。
そして相談窓口となる組織は以下の機能を持つべきです。
- 匿名で相談できる
- 調査および適切な処分を行う権限
ちなみに上記のような話をすると「法律や組織を作れば変わるんですか?」と質問を受けることが非常に多いです。私自身はそれだけで変わるとは思っていなくて、最終的に文化が変わらなければアスリートに対する暴力は無くならないと思います。
あくまで「セーフスポーツセンター」の立ち上げは、暴力・ハラスメントの無いスポーツを普及させるための手段です。
「暴力・虐待はいけない!」と手ごたえはあるも、今後の課題
現場を見ていると「暴力はいけない」ということに賛同してくれる空気感は確かに感じます。また、スポーツでの暴力に関する報道がされるようになってきているので、世論もマスメディアもいい方向に変わってきていると思います。
そういったこともあってか、2021年度にスポーツ庁が作成した「スポーツ基本計画」の中に「ハラスメントや暴力はいけないこと」といった内容が盛り込まれていました。それ自体は嬉しく思う一方で、私としては何らかの組織的および政策的な手段が必要だと思っていて、それについてはまだ記述がありません。
組織的な措置を日本も諸外国に倣ってやるべきだということを、今後は伝えていきたいですね。
「子どもたちが自らの可能性に挑戦する環境を作る」
土井さんより「スポーツ現場での暴力の実態」について、そして杉山さんより「暴力根絶のための組織的アプローチの重要性」について解説していただいたところで、弊代表の小林より「ダブル・ゴール・コーチング」についてお話いたしました。
スポーツコーチング・イニシアチブでは「子どもたち自らの可能性に挑戦でき、応援する大人が増える社会の実現」を目指して活動しており、その手段として「ダブル・ゴール・コーチング」の普及をしています。
スポーツで子どもの自己肯定感の低さを改善することを目指す
残念ながら、今の日本では若者が「自分自身の可能性を信じられない」ことに直面しているのが現状です。特に「自分で国や社会を変えられると思う」の割合が、諸外国と比べて著しく低いのが特徴です。
その原因の一つに、子どものころに経験したスポーツで暴言や体罰を受けてきたことではないかと考えています。実際に暴言や体罰を受けると、脳が委縮してしまうことが科学的にわかっています。
逆に言えばスポーツの在り方が変われば、日本の子どもたちは必ずよくなる、若者が世界に羽ばたいて、より高い成果を出せるのではないか、という想いから行動を続けています。
ダブル・ゴール・コーチングとは
スポーツコーチング・イニシアチブでは、指導方法に悩まれている現場指導者の方を中心に「ダブル・ゴール・コーチング」を広めさせていただいています。
ダブル・ゴール・コーチングとは、勝つために全力を尽くしながら、同時にアスリートに人間的成長を促すための考え方のことです。これまでのスポーツ現場での指導方法であるシングル・ゴール・コーチでは、「勝つために全力を尽くす、勝てなければ何も意味がない」という考えでした。
「勝利至上主義」のシングル・ゴール・コーチでは、勝ちを追い求めるためにコーチや保護者が発破を掛けてでも成果を求めていました。「成果が出ればいい」という考え方が、結果的に暴力や虐待に結びついてしまったのではないかと考えられます。
ダブル・ゴール・コーチでは勝利を追い求めることを通して、子どもたちやアスリートの努力や学習を評価基準に置いて、成長を促していく考え方です。
子どもたちがスポーツを通して成長するためには評価基準を変えることから
ダブル・ゴール・コーチングを取り入れるにあたって必要なことは、勝者の再定義を行うことです。これまでは試合や大会を勝ち抜いて、相手よりも優秀な成績を残した人およびチームが勝者とされていたと思います。しかしこれでは、暴力・暴言を用いた指導により短期的に成果が出てしまっているため、被害が無くなることはありません。
そこでダブル・ゴール・コーチングでは、勝者を「競技や種目に置いて自らを成長させ続けられる人・チーム」と再定義することで、スポーツを学びのあふれる場所にできるのではないかと考えています。
スポーツを学びのある場にするために具体的にやるべきことは、これまでの評価基準をガラリと変えることです。ダブル・ゴール・コーチングにおける具体的な評価基準は、以下の3つです。
- 努力を重視する:Effort
- 学習を重視する:Learning
- 失敗してもOK:Mistakes
結果から成長へ、DoingからBeingへ。これからの子どもたちがスポーツでどう成長したいのか、そのためには指導者と対等にぶつかり合えるように、活動を続けていきます。
パネルディスカッション~保護者・指導者・専門家はどうスポーツに向き合うべきか~
ここまで土井さん、杉山さん、小林の3名からお話を伺ったところで「スポーツから暴力を無くすための方法」について、議論をしていただきました。
次回は2022年1月27日(木)に第2回を開催する予定です。
今回ご登壇いただいた杉山さんより、アメリカの専門機関が「暴力の無いスポーツ」を実現するために、具体的に取り組んでいることを紹介していただく予定です。
また指導者や保護者、子どもたちなどさまざまな人と、実際に話し合いの場を設けられたらと考えています。
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